対談

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【新春対談】全農経営管理委員会 菅野 幸雄会長×キャスター・元バドミントン日本代表 潮田 玲子さん

次世代の人材を育て豊かな食文化をつなぐ

 
農業とスポーツ界に立ちはだかった難局

菅野幸雄会長 あけましておめでとうございます。

潮田玲子さん あけましておめでとうございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。昨年、全農の会長に就任されたと伺いましたが、会長にとって昨年はどんな1年でしたか?

菅野会長 7月は九州で豪雨災害がありましたので、まずは復興を最優先にしようと被災地へ視察に行きました。新型コロナウイルス対策をしながらの復興活動に皆さん苦労されていましたが、われわれとしては農家に寄り添った取り組みをしていこうと対策を練ってきた1年でした。

潮田さん 私は北九州出身で、親戚がおりますので、とても心配していました。

菅野会長 3年前にも広島や岡山、そして私の地元の愛媛など、西日本を中心に豪雨災害がありましたが、大きな被害があり、今はまだ完全に復旧できていません。大切なのは、被災された農家が農業を辞めてしまわないような復興対策を続けていくことだと思っています。昨年はスポーツ界においても東京オリンピックが延期になるという思いがけない1年でした。潮田さんはアスリートと会う機会が多いかと思いますが、皆さん、どんな様子でしたか?

潮田さん 正直、掛ける言葉がありませんでした。たかが1年されど1年ですから、人生を大きく左右するような選手もたくさんいました。ですから、「頑張れ」ではなく、「今は耐えよう」と声を掛けてきました。

菅野会長 私も被災された農家に対して同じ気持ちです。収穫を目前にして被災すると、モチベーションが保てないんですね。支援しますと言いながらも、「頑張れ」という言葉をストレートには言えませんでした。農家もアスリートもまったく違う世界ではありますが、最後は自分自身で立ち上がらないといけないという環境は似ていますね。

潮田さん そうですね。農家さんをサポートするために、私たちができることは何でしょうか。やはり買って支援することでしょうか。

菅野会長 それはもちろんありがたいことですが、アスリートの皆さんには素晴らしいプレーを見せていただくことで、みんな元気をいただけるんじゃないかと思いますね。

潮田さん それは選手にとって励みになります。今、本当にスポーツをやっていていいのかと考えている選手が多いんです。東日本大震災のときも、こんなに日本が大変なときに海外で試合をしていていいのかと自問自答の日々でした。けれども、コートで元気な姿を見て勇気をもらいましたとおっしゃってくださる方がたくさんいて、バドミントンを続ける意味があると感じたのを今も覚えています。会長のお言葉も本当にありがたいです。

菅野会長 アスリートの皆さんには前向きに頑張ってほしいですね。被災した農家も徐々に前を向いて行動するようになってきています。昨年は自然災害も大変でしたが、コロナ禍では、いろいろな問題に直面しました。最初に困ったのが外出自粛だったんです。

潮田さん 私も緊急事態宣言の時期は、皆さんと同じように、家族の食事の世話に追われて大変でした。

菅野会長 外出自粛とはいえ、米や野菜などの食料は生活必需品でしょう。誰でも食事をしますから、農家はいろいろな障害と闘いながら一生懸命に出荷を続けてきました。さらに、外国人の技能実習生が日本に来られなくなりましたので、人手が足りなくなり、せっかく収穫できるまでに育った野菜を収穫できずに廃棄してしまうという問題も起きました。

潮田さん 生産現場に大きな影響をもたらしたのですね。私はステイホームを機に野菜のお取り寄せを始めました。毎日、新鮮な野菜が届くので今も続けています。子どもが5歳と3歳でまだ小さいんですけど、一緒に料理を作ってみたり、お花を植えたりと、大変な時期ではありましたが、子どもたちはとても楽しそうでしたので、有意義な時間だったと感じています。

菅野会長 そうですか。皆さん家庭ごとにさまざまな過ごし方をされていましたね。新型コロナウイルスがまん延した当初、マスク不足が起こりました。これが食料不足だったらもっと大変でしょう。どんな時でも農畜産物を国民の皆さんに食べていただけるように、食料自給率を上げる取り組みをしていきたいですね。そのためには、ICT化やロボット化を進めることも全農にとって重要です。道のりは長いですが、機能や生産性がアップするような農業社会をつくろうといろいろな研究を積み重ねているところです。

 
日本食の輸出拡大を目指して

菅野会長 実は私も若い頃にバドミントンをやっていました。ずっと動き続けるハードなスポーツで、ものすごく苦しい思いをしました。潮田さんともなれば食事面においても大変気を使われていたのではないですか?

潮田さん アスリートは栄養バランスのとれた食事が基本です。試合の時期は、タンパク質を重点的にとって、最後に炭水化物をとることを意識していました。日本の食品は安全・安心で、それは世界のどの国にも負けない素晴らしいことだと思っています。海外へ遠征に行くと、何が苦労するかというと、やはり食事の面なんですね。思うように食材が手に入らないことがありますので、荷物の中に日本の食材をいろいろ詰めて持っていったほどです。

菅野会長 潮田さんが世界を目指していた頃は、海外では日本食がまだ少なかったんですね。今や日本食はヘルシーで体に良いとされていますから、そのイメージを含めて海外に輸出して、日本食ファンを一人でも増やしていこうと行動しているところです。輸出は、JAグループだけではなくオールジャパンで取り組んでいけば、あと数年で海外のスーパーなどでもさまざまな日本食を買えるようになるでしょう。

潮田さん それは選手が喜びます。コンディションを保つという意味では、大舞台になればなるほど普段通りの生活が求められますので、選手にとって食事はすごく大事なんです。世界中のどこの国でもおいしい日本食が食べられるようになれば、海外遠征も安心です。

次世代の人材育成に必要なのは成功体験

菅野会長 農業でもスポーツでも、人を育成することが大事だと思いますが、いま、若い選手たちを見ていて、どのように感じますか?

潮田さん 今の若い選手たちのほとんどが、早い段階からオリンピックでメダルをとることを目標にしています。私自身がオリンピックを目指すようになったのは高校生の時でしたから、遅い方なんです。

菅野会長 若い選手がオリンピックのメダルを目指せるのは、そういう舞台をつくってみせた〝オグシオ〟ペアの存在があったからでしょう。全日本チャンピオンになって、オリンピックに出場して、というストーリーを見てきた若い人たちが、私もオリンピックに行けるんじゃないかという可能性を見いだしたはずです。〝オグシオ〟ペアが日本にバドミントンを広めた先駆者だと思っています。

潮田さん ありがとうございます。期待されてきた分、それに応えないといけないと責任や義務のように感じていました。当時は試合に勝つと、うれしさよりも負けなくてホッとしたという気持ちのほうが大きかったですね。一番辛かったのは、北京オリンピックでメダルが取れなかったことです。国民の皆さまの気持ちを裏切ってしまったと、ふさぎ込んでしまいました。自分に対してもメダリストになれなかったことにコンプレックスを感じていました。でも、引退して8年たってようやく、メダルを目指して頑張ってきた自分をちゃんと評価してあげようと思えるようになりました。

菅野会長 そうでしたか。時間をかけて克服されたのですね。われわれ全農は農業の労働力不足の問題を克服しようと取り組んでいます。たとえば、愛媛県のJAと全農が協力して、ミカンづくりをやってみたい人たちを募集しています。農家から土地を借りて研修をして、さまざまな技術を習得してもらい、農業所得で暮らせるような環境づくりを応援しています。そうした拠点を増やしていけば後継者ができ、労働力不足も解消できます。

潮田さん 全農も後継者の育成に力を入れているんですね。私も子どもたちにバドミントンの楽しさ、面白さを伝えるための活動をしています。人に教えたり伝えたりするのは、生半可な気持ちではできませんが、自分の義務だと思っています。子どもたちには、できなかったことができるようになる、そういう成功体験をたくさん感じてほしいなと思っています。

菅野会長 それは農業にも通じる部分があります。農業のノウハウを口だけで教えるのは難しいので、しっかり体験し、経験を積んでいただくしかないんです。農家さんは選手ですから、みんながメダリストになってほしいですね。

食育につながる〝過程の経験〟

潮田さん 実は、うちの子たちにいつか農業の体験をさせたいと思っているんです。私が子どもの頃は裏山で遊んだりしていましたが、都会に住んでいると、あえてそういう場所へ行かなければ土に触れる機会がありません。週末だけでも農作物を育てられれば、子どもの食育につながるのではと思っています。

菅野会長 私もキウイフルーツを作っていて一番面白いのは、収穫までの過程です。芽が出て花が咲いて、授粉をして、小さい実がついて、それが1週間後、1カ月後と、だんだん大きくなっていくんですね。その過程に面白さや楽しさを見いだせられれば、喜びにつながります。農業もスポーツも、いろんな過程を経ていくからこそ、おいしい実となり、結果が出るんですね。そういう経験は、子どもさんにとってすごくいいことなんじゃないでしょうか。

潮田さん そうですね。うちのベランダにブルーベリーの鉢植えがあって、毎年実をつけてくれて、酸っぱいんですけど子どもたちが喜んで食べるんです。まさに会長がおっしゃったように、花が咲いて実をつける過程をみることが喜びにつながっているように思いますね。

次なる目標に向けて
しおた・れいこ 1983年、福岡県生まれ。幼い時からバドミントンを始め、小学生の時に全国小学生大会女子シングルスで全国3位入賞。中学校3年の時には全国中学生大会女子シングルスで初めて全国大会優勝。その後、女子ダブルスで小椋久美子さんとコンビを組んだ“オグシオ”ペアで女子ダブルス 全日本総合選手権大会で2004年から5年連続優勝、2008年には女子ダブルスで北京オリンピックに出場し、5位入賞。2009年からは、池田信太郎さんとのコンビ“イケシオ”ペアで全日本社会人大会優勝、全日本総合選手権大会優勝。2012年、混合ダブルスでロンドンオリンピックに出場し、同年9月に現役を引退。2014年から、(公財)日本バドミントン協会 広報委員を務めている。

菅野会長 今年は丑(うし)年ですが、私自身の干支が丑年なので、牛のように大地を踏みしめて、一歩一歩前進していきたいですね。農業で生活できる方を一人でも多く増やして、まずは日本国内の食に関する安全保障をしっかり進めていきます。そして、海外へ日本の食材や食文化を輸出していって、農家が農業で安定して生活できるように歩みを進めていきたいと思います。潮田さんには、ゆくゆくは世界で活躍されるアスリートを育成していただきたいと思っているのですが、潮田さんの今年の目標は何ですか?

潮田さん はい、オリンピックが無事に開催されれば、選手たちの頑張っている姿をたくさんの人たちに伝えられる1年になればいいですね。昨年は新型コロナウイルスを通して、食の見直しをはじめ、生活スタイルを見つめ直した時期でした。毎日の食事は、できるだけ自分で手作りしたいと思いますし、日々の暮らしを大切にしたいと感じるようになりました。今まで慌ただしく時が流れていたように思いますので、これからは一つ一つ丁寧な生活を心掛けることを目標にしていきたいです。そしていつか、子どもたちと一緒に農業にチャレンジしたいなと思っています。

菅野会長 その際は、お手伝いさせていただきますよ。今日は楽しい時間をありがとうございました。

潮田さん こちらこそありがとうございました。

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