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連載 食料への権利と農業(2)エシカル消費を味方につけるために、生産者に求められる役割 農と食のジャーナリスト 山本謙治

農と食のジャーナリスト 山本謙治

 現地事例や識者の見解をもとに、「食料への権利と農業」には何が必要かを考えるシリーズ。第2回は農と食のジャーナリストの山本謙治さんと、エシカル消費について探ります。


世界で広がりつつあるエシカル消費

 昨今の世界の潮流で重要なものに持続可能な開発目標(SDGs)があることに異論はないでしょう。SDGsは17の分野で持続性を確保するための目標を定めたものですが、これらはすべて何かに対する倫理的な配慮をしましょう、という内容になっています。ただ、このSDGsは2030年に向けた目標であって、それ以降はまた違う言葉になると思われます。一方で、変わらない概念もあります。それは「倫理的な配慮」で、これを英語で「ethical(エシカル)」というのです。

 欧米では1970年代から、産業の発展とともに生まれたさまざまな問題、例えば環境問題や人権侵害の問題、動物実験に対する批判などが議論されてきました。そんな中、例えば環境汚染につながる製品を売り出したメーカーの商品をボイコット(不買)し、汚染しない商品をバイコット(応援購入)するといった行動をとる消費者が現れました。商品を購買する消費活動を通じて、よりよい社会を創り出そうとする行為がエシカル消費と呼ばれるようになり、さまざまな問題がエシカル消費の文脈であぶり出されることになったのです。

エシカル消費と生産者

 欧米のエシカル消費の対象となっている分野は、環境・人・動物です。環境問題では気候変動への対応、CO2削減が急務となっていることに加え、野生動物の保護に水産資源の持続的な利用などが含まれます。人の分野では人権問題や労働に関わる問題、例えば児童労働や奴隷的な労働に加担しないことが求められます。動物については、家畜のアニマルウェルフェア(快適性に配慮した飼養管理)を拡充すること、動物実験をできるだけ無くしていくことなどが求められています。

 なお、環境・人・動物に対するアクションとして具体的に欧米で議論されているテーマには、先に挙げた以外にもフェアトレードを推進することや、フードチェーン内での利益を適正に分配することも含まれています。これらは、開発途上国の生産者が安心して生活できる収入を得られない現状を改善しようという動き。つまり、生産者に対する倫理的な配慮もエシカル消費には組み込まれているわけです。

懸念される食料生産現場における児童労働
 

変化する生産者の役割

 私はこれまでの食に関わる仕事の中で、生産者の収入を上げていくためにはどうすればいいかということを考えてきました。14年前にエシカル消費という概念と出合うことで、日本の産地を守っていくためには、エシカル消費を普及することが有効なのではないかと思うようになり、その研究を始めたのです。エシカル消費の先進地である英国にも調査に行き、さまざまなキーパーソンと対話を重ねました。そこで見えたのは、生産者の役割も変わっていかねばならないということです。

 エシカルに敏感なEU圏において、農業の生産者は手厚く保護されています。ただし、その代わりに「生産者も求められる役割を果たす」ということが明確化されていました。もともとその役割は食料を安定供給することでしたが、それが環境や景観の保全というところにまで拡大し、今日ではさらにCO2排出をゼロにする、カーボンニュートラルの担い手としての活躍が期待されています。英国を構成するウェールズでは、生産者も食品メーカーも、カーボンニュートラルへの貢献や化石燃料の削減が求められ、補助金にも大きく影響するそうです。

 つまり、エシカル消費を生産者の味方につけるためには、生産者自身もエシカルで求められる役割を果たすことが求められるということなのです。

日本の生産者に必要なエシカルとは

 昨今のSDGsへの貢献が求められる風潮のなか、JAの広報活動でも「この活動は環境の保全につながっており、SDGsの15・4に貢献しています」というような記事を見かけるようになりました。確かにこれまでの産地の活動の中には、SDGsの概念に則したものもあるでしょう。ただ、そうした「これまでやってきたことの置き換え、言い換え」だけでは、国際社会が求めるエシカルに対応したことにはならないことを知ってほしいと思います。

 実は欧米が求めるエシカルと日本人の持つ倫理感の間には、けっこう大きなギャップがあります。例えば日本では家畜を屋内で飼うことが主流ですが、家畜のアニマルウェルフェアの文脈では屋外に行き来できなければ倫理的でないと考えられています。日本人が「屋内だけど、大事に飼っているよ」と言ったところで、価値観が違うので「何を言っているの?」とされてしまうのです。こうしたギャップは、国の発展や、道徳観念の成立の経緯が違うので、あって当然です。ただ、そのギャップを乗り越えるためには、まず他国のエシカルがどんなものなのか知ることが大事でしょう。これから日本はまた多くの海外のお客を迎えていかねばならない局面なのですから。

 おもてなしの国である日本がエシカル消費でも評価されるためにも、欧米のエシカルを識(し)った上で、日本特有のエシカルを識ってもらう。そんな手順を踏んでいく必要があるでしょう。この3月に、欧米の食のエシカルについて詳しく書いた拙著『エシカルフード』(角川新書)が発刊されました。ご興味があれば手に取っていただきたいと思います。

 

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