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広報・調査部

緊急連載 反グローバリズム・反新自由主義の潮流(2)

インタビュー 元京都大学准教授 中野剛志さん

「協同組合が活きる時代へ」

 市場原理に任せることを旨とし、国内外の政策決定に大きな影響を与えてきた新自由主義。その流れに敢然と立ち向かう論者の一人、元京都大学准教授の中野剛志さんに、新自由主義の問題点、あるべき政策の姿、協同組合との関係などについてうかがいました。


プロフィール
なかの・たけし 1971年、神奈川県生まれ。東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。2000年から英国エディンバラ大学大学院に留学。政治思想を専攻し、05年に博士号を取得。12年まで京都大学大学院工学研究科准教授。著書に、『日本思想史新論』、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』など。

 大きな世界的な流れでいうと戦後、農協や労働組合、組合というものが重視される時代があったと思います。

 世界恐慌で、市場の自由に任せておくと人間生活がズタズタになる、というようなことが明らかになりました。

 戦後は、国が福祉国家的なことをやる、市場に何でも任せるととんでもないことになるから、組合という互助組織が、農協であれば農地や自然や農民を守り、労働組合は労働者を守るということになりました。それが一時期力を持ちました。

バブルの崩壊後 新自由主義が台頭

 1970年代にインフレがあり、80年代ぐらいから、やはり市場原理に任せた方がいいのだという新自由主義の考え方が広まりました。オイルショックで価格が上がって止まらなくなったのを、ある意味、市場原理に任せないからだというふうにすり替え、それが非常に力を持ってきました。もっと規制緩和、もっと自由化というのが80年代以降の流れです。  

 90年代になると、日本はバブルが崩壊して経済の調子が悪くなったので、市場原理に任せればいいのだというような新自由主義が一世を風靡(ふうび)しました。それを20年ぐらい続けて、市場原理主義、新自由主義の思惑通り、賃金が上がらなくてデフレが続いています。

 かつて世界恐慌で市場に任せてはいけないということが分かったように、市場にもう一回任せてみたら、案の定リーマンショックが起きてしましました。

強い国家権力を求める新自由主義者

 新自由主義は、口では国家は手を出すな、グローバリゼーションは国家を超えていく、政府は小さい方がいいと言うのですが、実は新自由主義者ほど強い国家を求めているイデオロギーはありません。新自由主義は個人が最大限自由でいた方がいいと考える。そうすると、協同組合が個人を守るために互助組織を作ったり、労働組合が労働者を守ろうとしたりすると、労働者を市場で自由に取引できなくなるので、邪魔なのです。邪魔だけれども、労組も農協も自発的な組織なので手が出せない。

 では、どうやって破壊するか、国家権力しかないのですよ。従って、新自由主義者は必ず強い国家権力と結び付きます。

 グローバリゼーションだって同じです。グローバリゼーションを進めるためには、覇権国家の権力が必要です。グローバリゼーションが冷戦後進んだのは、アメリカ一極支配になったからです。でも今、アメリカ一極支配が崩れ始めています。アメリカの力が落ちるということはグローバリゼーションも終わります。

組合組織を守るため一定の規制が必要

 では、適正な国家というのはどういうものかというと、自発的に手を取り合う組合や中間組織から構成される国家です。つまり、何でもかんでも国が口を出すのではなくて、むしろ協同組合の中で自治的に決めていくものは決めさせる。自治というのは民主主義の基礎で、そういった方向に変えていかなければならないだろうなと思いますね。

 組合の自発的な意思は重要だし、自治も重要なのだけれども、今の経済、グローバリゼーションとかそういう時代には、それだけでは、その組合の自発的な組織は守れない。横やりが入ったり、グローバリゼーションの圧力が強くなりすぎないように、やはりシールドが必要で、国家はシールドとして必要です。組合組織の互助や自治が可能となるような一定の国家規制、というのはいると思います。

 国家権力は強い国家権力である必要はあるが、その強い国家権力は、グローバリゼーションとか海外の巨大資本の圧力から、わが国の共助組織、互助組織、自治組織を守るのに用いられる。自分たちで自発的に自分たちを守ろうとする動き、これこそ自由民主政治なのです。

戦後の復興から高度成長期までの日本の政策は①のアメ型で労働者の賃金が上がり内需が拡大し企業利潤も増え国全体が豊かになったが、現在のグローバリズム的政策は②のムチ型で労働者の賃金は抑制され海外投資などで企業利潤は拡大するが、投資家の声が強くなり貧富の差が拡大している。
 
日本人は受け身がち 業種を超え連携し戦うべき

 農協に限らず、日本人一般と言っていいかもしれませんが、グローバリゼーションとか、時代の流れとか、そういったものを前提として、どう対応するかという受け身の姿勢でやりがちです。

 それでは相手はもっと調子に乗ってきます。ありていに言えば、なめられているわけです。受け入れる瞬間は、物分かりが良い、大人の知恵と見えますが、つけこまれるだけです。

 性善説に立ってやっていけた時代はそれでも良かったのですが、グローバリゼーションになるとそれでは通用しません。もっと戦闘的になるべきなのかもしれません。そうなってほしいとは思いませんが、そうならざるをえない。

 ちゃんと戦っていくためには、農協だけでは力が弱いので、郵政でも銀行でも電力でも、「既得権益で守られている」という同じロジックで攻撃されるわけなので、業種を問わず、手を取り合って戦うべきです。特に、組合とか出自とか理念を共有するところと連携するのが重要かもしれません。

協同組合の理念 後進に伝え強化を

 グローバリゼーションが行き詰まってきた世界です。そうすると、いよいよこれからは組合組織というのが大事になります。長いことバッシングを受けたので、もしかしたら自分たちはもういらない組織になるのではないかというふうな思いに囚(とら)われる方もおられるかもしれませんけど、時代はもう変わりました。それでも(農業・農協を)たたいている日本が遅れているだけで、早晩この人たちには限界が来ます。時代は大きく変わっていますので、むしろ、逆に重責になると思いますけども、ぜひ胸を張って、後進のために組合の理念とか、そういったものというのを伝え、強化していただければなと切に願います。

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